
サッカー史において「守備的ミッドフィールダー(DMF)」の役割を象徴する存在の一人がクロード・マケレレだ。
彼の凄さは、単なる守備能力の高さにとどまらない。圧倒的なカバー範囲と戦術理解度の高さで、攻守のバランスを整え、チームを支えるプレースタイルを確立した。その影響は「マケレレロール」と呼ばれる戦術概念として、現代サッカーにも受け継がれている。
若い頃のマケレレは、攻守に関与するボックス・トゥ・ボックス型の選手だったが、スペインのレアル・マドリードに加入すると「銀河系軍団」の守備を支えるアンカーとして覚醒。ジダンやフィーゴ、ロナウドら攻撃的スター選手を支え、チームの安定をもたらした。彼の退団後、レアルが低迷したことからも、その重要性が証明されたといえる。
その後、チェルシーへ移籍したマケレレは、モウリーニョ監督の下で「1人で2人分の守備をこなす」唯一無二の選手として君臨。圧倒的なボール奪取力とポジショニングの巧みさでプレミアリーグ連覇に貢献した。フランス代表でもW杯決勝の舞台に立ち、ビエラとともに中盤の要となった。
リフティングなどのボールコントロール技術も高く、派手なプレーこそ少なかったが、試合をコントロールする知性と堅実なプレーでチームに不可欠な存在だった。現在は指導者として活動し、チェルシーのテクニカルメンターとして若手の育成にも携わっている。
本記事では、マケレレの凄さを支えたプレースタイルやポジションの役割、レアルやチェルシーでの活躍、モウリーニョやジダンからの評価、さらにはカンテとの比較まで詳しく解説する。彼の功績が今もなお語り継がれる理由を紐解いていこう。
マケレレの凄さと唯一無二のプレースタイル
- マケレレのポジションと役割とは?
- 若い頃のマケレレとその成長
- レアル銀河系軍団で果たした重要な役割
- チェルシーで確立した「マケレレロール」
- フランス代表での活躍とW杯決勝
マケレレのポジションと役割とは?
マケレレのポジションは、主に守備的ミッドフィールダー(DMF)だった。チームの最終ラインの前に位置し、相手の攻撃を未然に防ぐ役割を担っていた。特に「アンカー」として機能することが多く、味方の攻撃の起点となるためのシンプルで確実なパスを供給することも求められた。
彼の最大の特徴は、1人で広範囲をカバーできる守備力と運動量だった。攻撃的な選手が多いチームでは、守備の負担が集中しやすいが、マケレレは1人でその穴を埋め、バランスを取ることができた。この能力の高さが評価され、「マケレレ・ロール」と呼ばれるほど、守備的MFの理想形とされた。
また、ボール奪取の技術も非常に優れていた。相手のパスコースを読んでカットし、フィジカルコンタクトを最小限に抑えながらボールを奪うスタイルを確立していた。さらに、無駄なドリブルやリスクの高いパスは避け、シンプルにプレーすることでチーム全体の安定感を高めた。
一方で、攻撃面での貢献は控えめだった。積極的にゴールを狙うタイプではなく、主に守備と試合のコントロールに特化していた。ただ、攻撃的な選手を支える役割を全うしたことで、チーム全体の戦術が機能するようになった。
マケレレのような選手がいることで、攻撃的なプレーヤーは守備を気にせず前線でプレーできる。彼の役割は、スター選手が輝くための土台を築くものだった。こうした「縁の下の力持ち」としての働きが、多くの監督や選手から高く評価された理由である。
若い頃のマケレレとその成長
マケレレは、1973年に当時のザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで生まれた。4歳のときに家族とともにフランスへ移住し、パリ郊外で育った。サッカーを始めたのは15歳の頃で、地元のアマチュアクラブで経験を積みながら、着実に実力をつけていった。
プロとしてのキャリアをスタートさせたのは、1991年のナント時代だった。当時のプレースタイルは、後年の守備的MFとは少し異なり、よりボックス・トゥ・ボックス型の選手だった。運動量の多さと俊敏な動きで攻守両面に関与し、時には攻撃にも参加することがあった。
1994-95シーズンには、ナントのリーグ優勝に貢献。ここでの経験が、のちにスペインやイングランドでの活躍につながっていく。さらに、フランス国内の強豪クラブであるマルセイユを経て、1998年にスペインのセルタへ移籍。ここで本格的に守備的ミッドフィールダーとしての役割を確立し、レアル・マドリードへのステップアップを果たす。
若い頃のマケレレは、単なる守備的MFではなく、高いテクニックとパス能力も兼ね備えていた。しかし、スペインでプレーするうちに、より守備に特化したスタイルへと変化していった。攻撃的な選手が多いチームでは、彼のようなバランスを取れる選手が必要だったため、戦術的な意識を強めた結果だった。
こうした成長を遂げたことで、マケレレはやがて「最強の守備的MF」としての地位を確立する。レアル・マドリードやチェルシーといったビッグクラブで中心選手となったのも、彼が若い頃から磨いてきた戦術眼とプレースタイルの適応力があったからこそである。
レアル銀河系軍団で果たした重要な役割
2000年代初頭のレアル・マドリードは、「銀河系軍団」と呼ばれるほどの豪華なスター選手を擁していた。ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、ロナウドといった攻撃的なタレントが揃い、華やかなプレースタイルで世界中の注目を集めていた。しかし、その一方で攻撃偏重のチームは守備のバランスを欠きがちだった。ここで不可欠な存在となったのが、クロード・マケレレだった。
彼の役割は、主に守備の安定をもたらすことだった。前線のスター選手たちは攻撃に専念するため、守備に割くエネルギーが少なくなりがちだった。マケレレは彼らの背後で中盤をカバーし、ボール奪取やインターセプトを繰り返し、相手の攻撃を未然に防いだ。加えて、攻撃の起点となるシンプルなパスを供給し、チームのリズムを作る役割も担っていた。
レアル・マドリードは、マケレレの貢献によって2000-01シーズンと2002-03シーズンのリーグ優勝、2001-02シーズンのチャンピオンズリーグ制覇を達成した。しかし、クラブの会長であったフロレンティーノ・ペレスは、派手なプレーをしない彼の価値を過小評価していた。2003年にマケレレがチームを去ると、レアルは守備のバランスを失い、数年間にわたる低迷を経験することになった。このことからも、彼がチームにとっていかに重要な役割を果たしていたかが分かる。
チェルシーで確立した「マケレレロール」
2003年、マケレレはレアル・マドリードを退団し、プレミアリーグのチェルシーへ移籍した。ここで彼のプレースタイルはさらに磨かれ、後に「マケレレロール」と呼ばれる戦術的な役割を確立することとなる。
当時のチェルシーは、ロシアの大富豪ロマン・アブラモヴィッチによる大型補強の真っ只中にあった。翌2004年にはジョゼ・モウリーニョが監督に就任し、守備を重視した堅実なチーム作りが進められた。その中で、マケレレは中盤のアンカーとして絶対的な存在となる。彼の主な役割は、守備の最前線で相手の攻撃を食い止め、シンプルなパスで攻撃の組み立てをサポートすることだった。
特筆すべきは、彼が「1人で2人分の守備をこなす」と称されるほどのカバー範囲を誇っていた点だ。相手のカウンター攻撃を封じるだけでなく、味方のポジショニングを調整し、攻守のバランスを整えていた。この役割があまりにも完璧だったため、守備的MFのポジションは「マケレレロール」と称されるようになり、多くの選手の手本となった。
彼の活躍により、チェルシーは2004-05シーズンと2005-06シーズンにプレミアリーグを連覇し、リーグ最少失点記録を更新するなど、鉄壁の守備を築いた。マケレレの存在が、モウリーニョ率いるチェルシーの成功を支えたことは間違いない。
フランス代表での活躍とW杯決勝
フランス代表としてのマケレレは、クラブチームほど派手な活躍が注目されることは少なかった。しかし、その貢献度は計り知れないものだった。特に2006年のドイツW杯では、中盤の要としてチームの決勝進出に大きく貢献した。
フランス代表は予選で苦戦し、一度代表を引退していたマケレレだったが、ジダンやテュラムとともに復帰を要請される。復帰後、彼はパトリック・ビエラとコンビを組み、堅実な守備を見せた。ジダンを中心とした攻撃陣が輝くためには、マケレレとビエラが後方で支えることが不可欠だった。
トーナメントでは、スペイン、ブラジル、ポルトガルといった強豪国を次々と撃破。準決勝のポルトガル戦では、フィーゴやC・ロナウドを封じ込め、ジダンのPKによる1点を守り抜いた。決勝のイタリア戦では、延長戦までもつれ込んだもののPK戦の末に敗れ、惜しくも優勝を逃した。
マケレレはこの大会を通じて、華やかなプレーヤーではないが、チームに不可欠な存在であることを証明した。フランス代表が決勝まで進めたのは、ジダンの攻撃力だけでなく、マケレレとビエラによる中盤の安定があったからこそだった。
マケレレの凄さと現代サッカーへの影響
- ジダンが語るマケレレの価値とは?
- モウリーニョが重視したマケレレの能力
- カンテとの比較と継承されるスタイル
- マケレレのリフティング技術と意外な一面
- 現在のマケレレは何をしているのか?
ジダンが語るマケレレの価値とは?
ジネディーヌ・ジダンは、レアル・マドリードとフランス代表の両方でマケレレと共にプレーした選手の一人だ。そのジダンがマケレレの重要性について語った言葉として、特に有名なのが「なぜベッカムを獲得し、エンジンであるマケレレを手放すのか?」という発言である。これは、レアル・マドリードのクラブ運営に対する痛烈な批判でもあり、マケレレの貢献度の高さを示している。
ジダンのプレースタイルは、攻撃的なポジションでの創造性と華麗なテクニックが特徴だった。しかし、そのプレーを最大限に発揮するためには、背後で守備を支える選手が必要だった。マケレレは、ジダンやフィーゴ、ラウール、ロナウドといった攻撃陣の後方を一手に引き受け、彼らが自由にプレーできる環境を作り出していた。
ジダン自身も、マケレレの退団後にレアル・マドリードが低迷した事実を挙げ、彼の存在の大きさを強調している。スター選手が並ぶ中でも、バランスを取る役割の選手がいなければチームは機能しないということを、彼は身をもって経験していた。結果的に、マケレレの退団はレアルにとって大きな損失となり、チームの崩壊を早めることになった。
モウリーニョが重視したマケレレの能力
ジョゼ・モウリーニョは、戦術的なディテールを重視する監督として知られている。彼がチェルシーを率いた際、チームの守備の要としてマケレレを絶対的な存在としたことは、その象徴的な出来事だった。モウリーニョのチームは、組織的な守備と速攻を基本戦術とするため、中盤の守備の安定が必要不可欠だった。その役割を完璧に果たしたのがマケレレだった。
モウリーニョが評価したのは、マケレレの守備範囲の広さとボール奪取能力の高さだった。相手の攻撃の起点を的確に読み取り、プレッシャーをかけることで攻撃を未然に防ぐプレーが際立っていた。また、インターセプトの技術にも優れ、シンプルなパスで素早く攻撃に転じる能力を持っていた。
さらに、モウリーニョのチームでは、守備的MFに戦術理解度の高さが求められる。マケレレは戦況を的確に判断し、味方の選手のポジショニングを指示することができた。特に、チェルシー時代には、ディフェンスラインと攻撃陣の間でバランスを保つ役割を担い、チームの骨格を形成する重要なピースとなっていた。
モウリーニョのチェルシーがリーグ最少失点を記録し、プレミアリーグを連覇したのは、マケレレが中盤にいたからこそ成し遂げられた成果だった。彼が守備の核として機能することで、チーム全体が安定し、効果的な攻撃も可能になった。
カンテとの比較と継承されるスタイル
マケレレの後継者としてよく比較されるのが、フランス代表のエンゴロ・カンテだ。両者は共に小柄ながら驚異的な守備力と運動量を持ち、中盤の守備を支える選手として活躍している。特に、チェルシーとフランス代表という共通点があり、プレースタイルも似ていることから、「カンテは現代のマケレレ」と評されることが多い。
マケレレとカンテの大きな共通点は、圧倒的なボール奪取能力にある。相手の攻撃を察知し、適切なタイミングでプレスをかけ、ボールを奪取する技術はどちらも世界トップクラスだった。さらに、無尽蔵のスタミナを活かしてピッチの広範囲をカバーし、味方の攻撃を支える役割を果たしている点も共通している。
一方で、両者には違いもある。マケレレはよりポジションに忠実で、相手の攻撃を遅らせることや、ボールを奪った後のシンプルなパス回しに長けていた。一方のカンテは、ボール奪取後に自らドリブルで前に運ぶことも多く、より攻撃的な側面を持っている。
カンテがレスター・シティやチェルシーで見せたプレースタイルは、まさにマケレレの影響を受けたものだった。特に、2016年のプレミアリーグ優勝時のレスターでは、カンテの守備力がチーム全体を支え、歴史的な快挙を成し遂げた。
マケレレは、守備的MFのポジションに革命をもたらし、そのスタイルは後の選手に受け継がれている。カンテの活躍を見ると、マケレレが築いた「縁の下の力持ち」の役割が、現代サッカーにおいてもいかに重要であるかがよく分かる。
マケレレのリフティング技術と意外な一面
マケレレは守備的MFとしての役割が注目されることが多いため、派手なテクニックとは無縁の選手と思われがちだ。しかし、実際には優れたリフティング技術を持っていた。試合では無駄なプレーを避ける傾向があったものの、トレーニングやウォームアップ時にはボールコントロールの技術を披露することもあり、チームメイトやファンを驚かせる場面もあった。
リフティングは単なるボール遊びではなく、ボールタッチの感覚を養う重要なスキルだ。マケレレも、これを利用してパスの精度やボールキープ力を高めていた。特に、試合中に相手のプレスを受けながらも冷静にボールを保持し、シンプルなパスで味方につなぐ技術は、このような基礎練習の積み重ねによるものだったと考えられる。
また、意外な一面として、彼はピッチ外でのユーモアあふれる性格でも知られていた。チームメイトとの関係は良好で、特にレアル・マドリードやチェルシー時代には、ロッカールームでのムードメーカー的な存在だったというエピソードもある。厳しい試合が続く中で、チームの士気を高めることができる選手だったのも、彼の魅力の一つだった。
現在のマケレレは何をしているのか?
現役を引退した後も、マケレレはサッカー界に深く関わり続けている。指導者としてのキャリアを歩み始め、2011年にはパリ・サンジェルマン(PSG)のアシスタントコーチを務めた。その後、フランスやベルギーのクラブで監督やコーチを経験し、現在はチェルシーの「テクニカルメンター」として活動している。
テクニカルメンターの役割は、若手選手の育成やクラブの戦略的な方針のサポートをすることだ。マケレレは自身の経験を活かし、チェルシーの若手選手に戦術理解や守備の基本を指導している。特に守備的MFの選手に対しては、ポジショニングや相手の動きを読む力など、自身が現役時代に培ったノウハウを伝えていると考えられる。
また、メディアのインタビューなどにも時折登場し、現代サッカーについての見解を語ることもある。過去の経験をもとに、選手の育成やクラブの運営について意見を述べる姿は、彼がいまだにサッカー界にとって重要な存在であることを示している。
このように、現在のマケレレはプレーこそしないものの、彼の知識と経験は次世代の選手たちに受け継がれている。チェルシーをはじめとするクラブにとって、彼の存在はこれからも大きな意味を持つだろう。
マケレレの凄さとサッカー界への影響
この記事のポイントをまとめよう。
- 守備的MFとして「マケレレ・ロール」という概念を確立
- 1人で広範囲をカバーし、守備のバランスを取る能力に優れていた
- ボール奪取の技術が高く、相手の攻撃を未然に防ぐプレーが特徴
- レアル・マドリードの「銀河系軍団」を支え、優勝に貢献
- 守備力を過小評価され、レアル退団後にチームの低迷を招いた
- チェルシーでは守備の要となり、プレミアリーグ2連覇を達成
- モウリーニョの戦術において不可欠な選手だった
- フランス代表ではビエラと組み、2006年W杯準優勝に貢献
- 小柄ながらフィジカルを活かし、対人守備でも強さを発揮
- 華麗なプレーではなく、シンプルかつ確実なパスで試合をコントロール
- ジダンや多くのスター選手からその重要性を認められていた
- カンテのプレースタイルと比較され、現代サッカーにも影響を与えた
- リフティング技術などテクニック面でも高い能力を持っていた
- 現役引退後は指導者として若手育成に尽力している
- 現在はチェルシーのテクニカルメンターとして活動している